食べる意欲を失った母の入院生活。そこで起きたことのひとつに「歯の問題」があった。
入院時に起きた腸穿孔で、2012年の4月末、母は緊急手術となった。母が「異常なまでにおなかを痛がるので検査したところ、腸に穴が開いている」という連絡を受けて手術となり、急遽京都へ行くことになった。
母自身は、前日に行なった腸の内視鏡検査ですごく痛かったときがあったから、医師の手によって穴を開けられたと疑っていた。そんなに簡単に穴があくのか?また本当にあいたならその瞬間から悶絶だろうというのもあって、、、それは気のせいだよ、で済ませてしまったけれど。
ひどい動脈硬化によって引き起こされた足指の痛みによる数年の不摂生と、ほぼ寝っぱなしで3ヶ月目の入院生活で、じっさい母の内臓はとても弱っていた。内視鏡検査もかなり慎重に人の何倍も時間をかけて行なっていたと病院はいう。そして腸穿孔の手術にも6時間以上かかったが、出てきた母はげっそりと10キロ痩せて小さくなっており、ストーマ(人工肛門)になっていた。
手術とは、穴の開いた腸の部分を切除し、本来であれば切った腸の端と端を伸ばして配管よろしくつなぐのだが、母の内臓は弱りきって弾力がないため引っ張ると力の入ったところがまた破れかねず、手術を始めたものの繋ぐこともできないと人工肛門になって出てきた。そして、他には選択肢がなかったという医師の説明であった。
元気になったら外すこともできるというのが医師団の説明だったけれど、それは、皮膚や血肉に栄養がいきわたり、身体のハリツヤが戻って、内臓までいきわたるほどの状態をさすので、実際はどこまで回復できるのかは五分五分だと、みんな心に思っていた。食べて栄養を摂らなかったということが、こういうところに影響してくる。
術後のダメージも覚めぬころ、本人にも家族にも医師団にも想像つかない事件が起きた。
母は地元に信用していた歯医者の先生がいてこまめに通っていた。歯磨きを習ったり歯石をとったりと、健康診断の延長で通っているのだと家族は思っていたが、実は誰も知らないうちに上顎が総入れ歯に、下顎が部分入れ歯になっていた。
そして術後の激やせで骨と皮になった母は頬の肉がこそげてしまい、元気だった時の入れ歯が痛くてつけられなくなった。
とにもかくにも「食べて元気をつけねば」というときに「歯がなくて食べられない」という悲劇。
そして、痛くないスペアの入れ歯が札幌の自宅にあるから送って欲しい、という本人の言い分だったが、実際親戚に探してもらっても見つからなかった。
2つあるのも不自然だろうから、本当にないんだろうという話で、院内の歯科に今の母の顔にあった入れ歯をつくってもらおうという話になった。
ところが、同じ病院といえども歯科は「通いが前提」で、病室への訪問治療はやらないのだという。しかも型を取ったりなんだりで入れ歯を作るのには数ヶ月かかると姉に説明したそうで、寝たきりで今日の食事から頑張らねばならないような母には全く無理なことで、歯無しで頑張らざるを得まい、ということになってしまった。
今にして思えば「替えの入れ歯を送ってくれ」と言った時はまだ、やる気があったのだと思う。
でも、大した不具合もなかったのになぜ母は総入れ歯を選んだのか、家族は誰も判らなかったが、これが母の生きる気をそいだ出来事のひとつだったと思う。
食べないことは、本当に恐ろしいのだ。
だからといって急に食べはじめても、そんなに体はすぐ出来上がらないから、やはり運動して消費しながら食べて摂取する生活を数年単位で続けるしかない。
それと、年寄りが健康診断(あるいは運動)がわりに持病で通院するというのも、やっぱり問題なのだと思う。
バセドーの主治医がおり、ほぼ毎月地元の総合病院へ何十年も通っていた。京都の病院に入院する2ヶ月前にカルテや紹介状の用意をお願いするために札幌の病院へ付き添ったときに「腎臓機能がほとんどダメになりかけていると何度も話していますが、まだ透析はやらなくてもいいかも」といわれて、私だけでなく母本人も青天の霹靂だった。「何度も言われて」るのに本人が知らないって、どういう現象??って感じ。体中にあちこち不具合を抱えているという話は結局医師から聞いてないし、つまりルーティンで血液検査と大量の薬をもらいに行っていただけで、医者も患者の体じゃなく、検査の数値しか見ていないのだと思う。
みなさん、8020運動ですよ。「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」です。
歯、大事にしましょうね。