毎日山のような売り込みメールが届きます。単なる配信メールであて先を差し込んだようなものは全く心に響かないため大抵が放置されて終わりです。しかし、つまらないビジネスメールの中にオヤッ?と光るものもあります。
私が好きな「いい人そうだなぁ」と思えるメールは、未だ見ぬ相手への緊張感があり、ささやかな敬意が表されてるもの。要点がわかりやすく、簡潔にまとめてあるもの。たとえ大量の送信文であっても、文末に個別の一文が添えてあるもの。特に弊社のお問い合わせフォームにはサイトの感想を尋ねていますが(もちろん必須からは外してあります)、たとえお世辞でも一言がある人には、お礼の一言だけでも返信したくなります。
弊社の外部スタッフにも、お問い合わせメールがキッカケになっている人が結構多いです。肝心の売り込み内容に用が無い場合は、どんなに「いい人そう」でも、残念ながら放置となりますが、そういうケースは、実は結構後ろめたい気持ちにかられていたりするものです(私は)。
思うに、文章には人間性が宿ります。ひらたく言えば“行間の印象”でしょうか。
これはもちろん「何行アケ」ということではなくて、言葉にならない部分のこと。文脈はもちろん、言葉の選び方、息継ぎのリズムにそった句読点、濁音の使い方。読み手の気持ちや状況を想像する力。それらの全体が書いている人の人間性を想像させてくれるんですね。
ちょっとしたお詫びの一言でも「すいません」と「すみません」とでは文字に込められた重さが違う。それは読む側に届く想いも異なってくると私は思います。
たかが文章といえばそれまで。実際の人間性を問わなくてもテクニックで得られる印象は大きいでしょう。しかしとても上手で印象的な文章でも、キメの熟語が変換ミスっていたり、素敵なフレーズが使いまわしだったりすると、読んでいるこっちが赤面です。これなら読まないほうがマシだったと思うことすらあります。
メールは、受け取る側にとっては個別の私信として届くもの。コミュニケーションを仕事としている私たちにとって、計算ずくでもいい、万全の配慮をしたいものですね。
メールについては、他にも色々感じることがあるので、折を見てテーマにしていきます。