毎年、暑かった、寒かったと話す割に、翌年になると前の年はどうだったか、すっぽり忘れてしまう。きっと言うほど天候に興味がないのだ。うん、それは否定しない。

夏といえば、毎日塗る下地クリームの日焼け止め効果はちゃんとあるのか気になっていた。
北海道育ちのせいか、東京に来たころは周囲が驚くほど肌が白かったし、スキンケアには美白成分が含まれているものを必ず選んでいる。朝夕の洗顔時には顔のシミが増えていないか、乾燥で小じわが増えていないか、美容液の美白成分は効いているか、それで頭がいっぱいだった。ちょっと深いところでも「肌にいいのはたんぱく質だから卵を食べるようにしよう」とか「顔の筋肉がたるまないためにも口角を意識しよう」とか「釣りは海からの照り返しがあるから下からの対策も必要だ」そんな程度。ホントに今までの自分は視野が狭くてアホやった。
 
チマチマとスキンケアを考えてた過去の自分を笑い飛ばしたくなるぐらいに、日光にあたるのは気持ちがいいことを畑で知った。いや「太陽にあたる喜びを、体が知ってしまった」というのが近いかもしれない。
人間の体内はたとえ頭が理解していなくても、生命維持に必要な方へ動かされていくのだろう。ビタミンDの生成とはこれのことかな?と思えるぐらい骨に沁みている気がするし、太陽エネルギーが体幹の芯に残っている。これがひどくなると熱中症のようなことになるんだろうけれど、ヤバくなる手前で止められれば、この残存エネルギーはとても気持ちがいい。体がポカポカすると気持ちがいいことを思い出したし、ホットヨガへ行ってきた後の感じにも似ている。そして体内の熱を冷ましながら、このエネルギーを燃やす(使う)にも体力がいることや、栄養消化に基礎体力が必要なことが、うすぼんやりと理解できてきた。
 
近年、世の中が短気に感じるのも、噛み合わない理論で揉めてるのも、原因不明の体調不良が訪れるのも、全部「食べもの」に原因があると思っている。そもそもヒトの判断基準が狂いだしたのは、健全な食生活がすっかり希少品になってしまったからだ。
 
いま幕末期がブームだけれど、侍が刀をおろし着物から洋服に変わっただけでなく、食生活も同じようで全く違っている。自分の親と比べただけでも、彼らは戦中生まれで電気も冷蔵庫もない不便な時代だったが、全ては土から得られる食材で、腐らない程度に時間が経ったものしか食べてきていない。翻って私は保存料も着色料も人工甘味料もそれ以外のあれこれも、たっぷり摂ってきているし、日々の食品の大半は工場で作られている時代だ。今の若い子たちはさらにもっと「工場系」だろう。これで明治維新と同じメンタルの人間になるはずがない。“毎日バケツ一杯食べるのを30年続けないと体に害はありません”という説明をさんざん聞かされてきているが、これらを10種類掛け合わせたときの未来への影響は誰も知らない。食品メーカーが儲けるための壮大な人体実験に参加してあげているような現代は、近い将来にもし不具合が起きてもだれも責任を取らないし、きっと「しかたなかった」の一言で済まされるだろう。。。そんなことを考えていると、日本から出ていきたくなる。
 
でも畑をはじめてから、一筋の光明を得た。大げさだけど。それな。
部活動で外にいる学生さんや屋外で仕事している人たちには、こんなくだらない能書きを読むまでもなく既知のことなのだろうけれど、本当に太陽に縁がなかったのだ。我ながらバカバカしくも、もったいないことをしてきた。畑で、ヨガの三角のポーズをとるように畝をまたぎ、堆肥をくずして土と混ぜ耕していると、汗がぽたぽたと土に落ちていくのを見る。流れる汗をぬぐうと、グローブについた土で顔が泥だらけになる。このあたりから、もうシミの一つや二つがどうしたっていうんだ!というモードに頭が切り替わる。そうだ、島田順子もあんなにカッコいいじゃないか。そうだ、要は生き方だ、生き様じゃないか。ボクシング某氏の言を借りれば「歴史に生まれた、歴史の男」ならぬ、歴史の女イイジマの人生や!(笑)
 
あぁ楽しい。
そもそも人の考えは変わる。そして体も変えられる気がしてきた。
あとは理屈と行動がちゃんとつながれば、もう少し未知との遭遇を楽しめる人生になるのではないだろうか。
 
実はここ1年ぐらい弱酸性ならぬ弱オーガニック系(笑)コスメに移りはじめ、最近は美容オイルにチャレンジ中。手応えが出てきて、これも楽しくなってきた。その話は、またこんど。