今年の梅雨をこんな大雨で終えることになろうとは、西日本と九州にて被害に遭われた皆様には心より御見舞い申し上げます。
このような時は自分の無力を痛感しますが、一日も早く平常の生活に戻れることを願っています。

7月10日は母の命日で、昨年末から準備していた7回忌を、6月30日に札幌にて無事終えてきました。

私は32歳の時に父を、43歳で母を見送りましたが、父を亡くしてからの母は積極的に人生を過ごしておらず、楽しむこともあまりせず、ただ過ぎてゆく時間に独りでゆっくりと流されていたように思います。そして私達も見落とすぐらいのスローペースで、食べることをおろそかにして体を壊し、いざ病気と闘わねばならない時がきても、ろくに闘うこともできず、気力までも失って亡くなりました。低栄養の恐ろしさを実感した出来事です。

私と姉は、母を看取った後も様々な後悔がのこり、母の晩年について思うことを何度も話すようになりました。三児の母であり人生の立ち位置が異なる姉ですが、食事や家族の健康管理をはじめ、趣味を持つこと、友人を作ること、生きるうえでの心がまえなど、現代を生きる女50代や60代は、何を大切にしてどのような気持ちで過ごすべきか。母を反面教師として、自分たちの腑に落ちるところまで、慌てず急がず、何度もトコトン話を重ね、気持ちにけりをつける努力をしてきました。振り返ればこの7年は長かったけれど必要な時間だったのだと、今そう思えることに安堵しています。

さて、私は自らの健康管理もおろそかに全ての時間をなげうって一心不乱に働いてきた約30年があり、その過程で子を持つことを諦めてきました。今の私に家族と呼べるものは夫しかありません。しかし私に限らず世間の皆さんのほとんどがそうですが、妻や夫は血のつながらない「他人」であり、親がいて子がいてこその家族だと思うと、我々のように他人と二人で暮らすこの状態を家族と呼ぶのは、どうもおこがましいのではないか。子育てや親の介護に追われて一生懸命な女性たちからみれば、いつでも切れる他人との縁を勝手に抱えこんで家族とは、なんて馬鹿げていてオメデタイ人なのだろうか、そう考えてきました。後ろめたさの表れなのかもしれませんが、この宙ぶらりんな感じを一生持ち続けることが私の運命なのだろうから、それを常に笑いとばせるぐらいでありたい、と思ってきました。

ところが、そんな私の偏狭さが、さなぎが脱皮するようにこの手から離れる日がやってきました。人生は折り返しを越えているし、この世から親が消えてから7年も経って訪れた心境の変化です。人生はどこで何が起きるか本当に分からないものです。

我が家は、他人のオットと私。そして世間ではペットと呼ばれるオス猫と、さらにここでも血がつながっていない弟猫との4名で暮らしています。そこそこ意思の疎通ができ、暑い寒いも共有し、機嫌がいい時もあれば、体調の悪い時もあり、誰かに元気が無いときは誰かが励ましているようです。こういう4名が互いに共同生活のルールを守りながら、東京の狭いマンションの一室で、ワーワーと賑やかに暮らしていることが面白くて可笑しくて、毎日家に帰るたびに笑っています。そしてふと、この小さな共同体もちょっといびつだけど家族でいいじゃんか、そう思えるようになりました。そして、この状態を維持するためには、やっぱり皆が健康であることが一番大切、と考えています。

気持ちが切り替わるのとは別に、節目というのは一度にいろいろやって来るもので、7月からアイデアパンチは15年目に入りました。
様々な業種、業態がシャッフルされている中で、やらねばならないことがたくさんあり忙しくしています。ですが気持を新たに、過去の実績にこだわらず、お客様のために今できることに向けて精一杯がんばる所存です。

私の気持ちを前向きにしてくれる、家族・友人・仕事仲間に改めて感謝しつつ。