世の中が多様化になりすぎて、いろんなところで基準値を見失う日々。しかしそもそも私はどの要素を切りとってみても少数派属性なのだから、こんなことで焦ってはいけない。慌てず冷静に、ひっそりと、世間に斜め後ろからついていくために・・・。
寄る年波に勝てない、とは言い過ぎだけれど、今までの感覚がことごとく合わなくなってきた、そんな自分にとまどうことが増えてきた。今こそ必要なことをコツコツとやらねば!と思い立ち、まずはアラフィフ自分のメイクについて見直すことに。

というのも、昨今の仕事の打ち合わせ現場ではシステムが複雑にからむので、話は超難解で関係者も多岐にわたる。話の論点を見失わないようかなり集中すると、そのまま思考が別世界に飛ぶ時があって、そんな時うっかり自分の頬を両手で挟むクセが出てしまう。あるとき、その掌経由で資料のペーパーや着用している黒っぽい服に皮脂がついてることに気付いた。我が掌を見ると、深く刻まれた掌紋に沿ってファンデがついている。あれ?きったねぇな私。もしかして塗り過ぎ?と、気になり出したら止まらなくなって、いざ情報収集を開始したのが2017年の晩秋。

昔からおじさんが女性を揶揄するときの基本用語集の中に「厚化粧」がある。あの言葉には厚さのことしか触れていないのに、どうして褒め言葉に聞こえることが全く無いのだろうか。実際にファンデーションの塗りが厚いかどうかはミクロン単位、薄皮一枚のレベルなので、美容部員でもない限り傍目には見分けにくいもの。しかし「年齢以上に老けて見える」というイヤーな感情があの短い単語でじつに正確に伝わってくるし、どの年代でも嫌な思いになる共通性がある。もしや、そこにおばさんメイクの突破口があるのではないか。

思うに、女性が化粧をした後の“仕上がり感”には、自分が一番きれい(あるいはモテ期)だった時代が無意識に反映されてしまうのではないか。常に「いまの自分が好き」というツワモノはともかく、そのあたりの認識が更新されていない人が殆どだと思うので、結果的に自分の「若いころ」の顔を自信満々に作りあげてしまう。その時差が、古くささ=年増、という連想に繋がるのではないだろうか。
ということはつまり、化粧とはきれいになるためにやるのではなく「今っぽさ」を取り入れてやらなければ意味がないのではないか。化粧は大人のマナー、なぁんて言ってる場合じゃないぞ。きれいになるつもりでうっかり女としてのピークが遠い過去なことを発信するとは、おそろしき無意識。

私の掌紋ファンデは、保湿で定評のあった国産大手メーカー製のクリームタイプだった。あの超・保湿がきっとベットリの元なのだろうけれど、塗ってからのティッシュオフはムラに剥げてしまうし、ブレストパウダーをはたくと「大福に粉」でさらに暑苦しい。せっかく薄付き全盛のいまなのだからこそ、年相応にふさわしい薄付きファンデをゲットしたいところなのに、アッサリ塗ると素肌っぽさが貧乏くさいおばさんに、きっちり塗れば、めかしこんだ感じが出てやっぱり暑苦しいおばさんに見えてしまう。ムム!このままではオバサン泥沼から這い上がれないじゃないか。

自分が若いころに仕事で出会った年配の女性は、かなりの確率で顔のたるみにそって化粧が崩れていた。乾燥やたるみによって皮膚の表面には細かな凹凸ができる。その影がくすみにつながるらしく、しょせんは素人の自分が、ほどほどにやってるスキンケアで作った顔が土台。保湿でつるりとした肌を作ることがまず一番なのだとは分かっているけれど、そうとは気づかず若いころのフィーリングで塗り込んでいくのは危険信号というわけなのね。しかも今は“ツヤ感”である。昔は“テカリ”と唾棄されたはずの“ツヤ感”は、なぜああも今っぽく、軽やかで、元気はつらつに見えるのだろうか・・・。あぁ、手に入らないと思うといっそう羨ましく思えてきた。

そうしてたどり着いたのがミネラルファンデーション!驚いたのは、薄付き感というより本当に薄いこと。薄く伸びてぴたっとつくうえに、表面はサラリと乾き、ブレストパウダーが要らない。乾くので、ちまちまと塗り直していると漆喰状になるけれど、思い切りよくエイヤッと塗ればスッとのびる。これで朝のメイク時間がかなり短縮された。シミはあまり隠してくれないけれども、すっぴんよりは目立たないから今までとあまり変わらない。乾燥する冬を無事乗り切れれば、あとは紫外線対策のみだ。念願の薄付き感は、心まで軽くなった気がする。しかもオイルオフに切り替えたらダブル洗顔も要らなくなった。お金も手間も時間も削れて心まで軽くなるって、マジックだなぁ。

ちなみにもう一つの中年女性のメイクポイントは眉毛の形。年とともに顔の筋肉は下がるので、眉と目の間が広がってくるのだそうだ。昔うっかり眉を抜き過ぎた人はさらに注意!毛根が筋肉を支えるので、抜いてしまっているとさらに垂れやすいらしい。

そうして肌の質感が替わると、洋服の質感とのバランスに気付く。この年になって作った薄付きの肌には、古くてくたびれた服はちゃあんと合わないのだ。雑誌などで襟元がぐっと開いた服を素敵に着こなしている外国の老婦人を見るけれど、彼女たちは肌も意匠のひとつだと分かっているように思う。そういえば若々しく素敵にみえる人って、顔だけとか洋服だけじゃなくて「全身」からみなぎる空気感が上質な気がする。

これからもっとおばさんになっていくからこそ、頑張って「それなりの上質」を目指さなければ。