弊社周辺の表参道は、世間の人が休みに入って都会が静かになるころも、意外に人通りは減らず、むしろ観光客が増えるパターン。
でもさすがに今日は少なめで歩行者も少ない。骨董通りも斜め横断し放題。田舎モンは斜めに近道して到達しないともったいないと思うので、それが許される貴重な一日。でも静かな分だけ、当たり前だけどお店も空いてないから、ランチも遠出してチェーン店となる。
先日、友人が納骨になったと風のうわさで聞きつけて、みんなが行かないうちにサッサと逢ってこようと墓参してきた。3年ぶりの対面で、何から話せばよいのやら。しかもとても素敵な、個性的な墓石でm墓地のどこに立っていいかも解らず、誰も見ていないのにおろおろして時間が過ぎてしまった。
いざ墓石の前に立ってみると波が引くように「生きてる人間の思うことなんて小さいよな」という気持ちになり、細かな出来事をいちいち取り上げて話す気にもなれず、出てきた一言は「このわずか3年で、世の中はさらに変わったよ」だった。
エネルギーも情報もお金も消費一辺倒でいいのか、という生き方への疑問にたどり着く。
ここ最近読んでいる複数の酪農本に登場する人たちは、大局的な視点を持ちながら自らの生き方へ反問する、マクロとミクロを行ったり来たりしながら答えを出し、その答えを検証することを繰り返している。彼らはみな経営者であり、勉強家で、国などへみじんも期待せず、しかし諦めもせず、理想に向かっている。私はどうだろうか。この人たちと肩を並べて自分の意見を表明するだけの強さがあるだろうかと思う。この強さを前にすると、都会の生きづらさなんかは薄っぺらく思える。
わずか人一人ぽっちの人生には大した成果なんか出せないのだから、そこに焦ることなく、流されることなく、身の丈に合わせて前へ進もう。「芽が出る種ばかりではない。けれども芽が出ない種も、土の栄養となり新芽の役に立っている」という一言に勇気づけられている。
あっそうだ、先日見かけた記事をわすれないうちにリンクしておこう。(時間が経ったら消えそうなurlだけれども)
アバウトなチェックリストだったけれど、私のいまの生活を維持するには地球1.9個が必要・・・。私に、何ができるんだろうか・・・・。
今年のアース・オーバーシュート・デーは8月8日。
【アース・オーバーシュート・デーとは】
アース・オーバーシュート・デーは、人類の自然への年間の需要が、その年に地球が再生産できる自然資源の量を上回ってしまう日のことである。 今年は8月8日に落ち込んだ。これは、われわれが、海や森が吸収できる以上の二酸化炭素を大気中に排出し、魚や森林が再生産する速さを超えて消費していることを意味する。
※2022年のアース・オーバーシュート・デーは7月28日