芸人の闇営業問題で業務基本契約の有無や、反社会勢力の見抜き方に話が広がっているけれど、本質は「ビジネスに、どこまでマネジメントを必要とするか」だと思う。
マネジメントは「口座を通して中間マージンを取る」立場と混同されがちだけれど、誰にでもできる仕事ではない。契約成立までに関係者にかかる時間といったコスト面と、取引相手がどういうタイプかを見抜くセンス、それに損得勘定と交渉テクニックを加味すると、導かれる結果が全く違う。すごく重要なのに、今ではその価値すら知らないビジネスパーソンも結構多い。
私のやってきた受託制作という商売は、受注したときは商品が存在しない。専門のノウハウを持った人間が集まり、請けた内容をチームで作り上げていく。これは呼ばれた先で自分の芸を披露する芸人と似ている。クリエイターや職人など製作を行う当事者だけでは揉めるものだし、どんな芸人を集めれば盛り上がるのは本人以外が客観的に組み立てる必要がある。製作当事者は自分がやるべきことに集中するものだし、他には気を回せないものだけど、それでいいのだから。
今回のように「芸をする本人」が「見て楽しむ人」から直接金銭を受領する関係でやるのは、内緒で請けるケースが殆どだろう。足を運んだ先でこれはヤバいと気づいたとしても、立ち去る方法がわからないまま時が過ぎ終わってしまった、小遣い稼ぎのつもりで軽率な判断をしてしまった、というところだと思う。後ろめたさが先に立てば判断が鈍るのは普通のことだ。相手の素性を見抜くというのは結構難しく、人間、目の前にいる相手をうたぐってかかるには専門のアンテナが必要でもある。
この話、もしマネジメント能力のある仲介者がいたらどうだったろうか。今回は仲介者も同じく芸人の立場だったため単なる「金稼ぎの横流し犯」として処分されている。もしマネジメントできる人間が(たとえオフィシャルでなくとも)間にいれば、ヤバイ現場に赴いたときの対応も違ったし、本人の責任も軽かったのではないだろうか。つまり間にマネジメントを立てておく方が、芸を発揮して収益をあげたい人には本来保険として機能するはずなのだ。その必要性を認めたとして、問題はそのコストを誰が負担するか。所属会社と向き合えないのであれば、個人で雇うぐらいの危機管理意識があってもいいのではないか。世の中はもうそのぐらいに細分化されてきている。
個人の能力で商売する人には等しくいえることで、国会議員が専門秘書を雇うのと似ていないだろうか。彼らのギャラは税金だから芸人のマネジメントよりシビアであるべきだけれど、専門家を立てるということは本来メリットのある話なのだ。マネジメントやギャラ交渉、企画のすり合わせなど、本来ならそれぞれのプロが立つようなことが、当人の「器用さ」だけにゆだねられるのではなく、間に入る人の「手数料」もっと聞こえよく言えば「紹介料」としてコストに含まれればいいだけのこと。実はそれは人を見る、ジャッジする、コントロールする、という役割の人が正当に受けるべき評価と報酬なんだけど、中身が機能してないから「ピンハネ」と一緒くたにされて軽くなってしまった。広告代理店の凋落ぶりも一因だとおもう。
一方で「横流し犯」の一味みたいな「自称:コンサルタント」も増えた。コンサルがこんなに世の中にたくさんいるはずがなくうさん臭い。おかげで私は主たる業務がコンサルだけど、コンサルを名乗りたくない。「中間マージンを取るだけの、ピンハネする人」というレッテルを貼られて職業価値が下がらないように頑張ってるつもりだけど、社会にもその違いを見分ける目と予算を持ってほしい。
ほんとは人材育成もしていかなければならないけれど、今の日本はそれどころじゃないんだろうなぁ。私も含めて行き場のない中年キャリア組が山のようにいるんだろうな。今回は自分には無関係な話だとはまったく思えなかったけど、でも無力だなぁ。
実はこういう話題、実家の家族では珍しくない雑談のテーマのひとつだった。親子でこういう話をする、風変わりな家庭。今日7月10日は母の命日。父も母も鬼籍に入って、話し相手が居なくなって久しいよ。つまらないなぁ。