昔の同僚と呑みながら「マイルドヤンキー」の功罪を話してたとき、その人が「ヤンキー」の部分を「やんちぃー」って言うのが耳障りでしかたなかった。でも言い換え部分に持たせる“含み”のニュアンスを共有できると、そのニュアンスが、会話の流れを一定の枠組みから脱線させない効果があることに気づいた。不思議ね~世代間共有って、こういうことなのかしら。
その印象が濃すぎてパーティもパーチーっていわねばという自己圧がすごい。どうでもいいけど。
みなさん風邪を引いてませんか?私の周りはライトからヘビーまでいろいろ。。しかし私、実はここ何年も風邪を引かなくなりました。
きっとアレルギー症状に風邪の諸症状が含まれもみ消されてるんだろうと思っていたけど、オフィスが移転したこの1年ちょっとは花粉症も軽くなり、クシャミ・鼻水も極めてライトです。
風邪をひかなくなった自分を褒めてあげたい、、、というよりも、理由を考えてみたところ、ヤハリ近年の食生活ではないだろうか?と思う。
私はいまだに「朝ごはん」を、起きがけにもりもり食べることができない。空腹かどうか、とは別で体が馴染まない。
20年近く食べない生活をしてきたので、他人がみたら驚くであろう深刻さで、毎朝「食べる」「食べない」で格闘していて、おかげでかなり食べられるようになった。毎朝の格闘は相変わらず欠かせないけれども、ここに到達するまでに3~4年はかかってると思う。
義母が毎年梅酒を漬けている。高齢でお酒もそう呑まないので梅ジュースに変えているけれど、夫婦ともどもお元気だ。疲労回復に沁みるからねとサラリと言ってのける梅干し嫌いのわがオットを見ていると、梅雨も無く梅酒もつけない北海道で育った私とは違い「作り上げてきた健康」の重みを感じる。健康づくりって一朝一夕では無理なんだなと思う。
つい先日、子どもの凄惨な殺人事件があった。地域や学校が「いのちの教育」に力を入れていたと報道されていたけれど、道徳や正論だけで人の気持ちは育たない。理屈を学ぶよりも当人に愛情が注がれていることの方が、それと同じぐらい当人の体に栄養が満たされているかが大事。これは痩せているとか太っているとかじゃなく、細胞のすみずみに、人間が必要とする成分がしみじみとゆきわたり、しっとりと潤っているかだと思う。
心と体は誰しもつながっているから、この「成分」の偏りが無く健康な人は、深層無意識のところに迷いや不安が無い。
東京に来て一人暮らしを始めた28歳のころ。「手づくりのごはんが食べたい」という猛烈な感情が周期的に湧き出ていた。特に、疲れてくると思う。これは極端な話、まずくても失敗してもいいから、食べなれた我が家の味に近いものでお腹を満たしたいという欲求で、週末は朝から黙々とご飯を炊きカレーを作ったりしていた。結婚したおかげで食べることが自分だけの問題ではなくなったし、オットも料理ができる人だったので、それもいい具合に作用したと思う。
そんなわけで前置きがすごく長くなったけど、7月21日の連休に同世代女子を4名集めて「ホームパーチー」やりました。目的は「みんなで軽くウサ晴らし」なんだけど、やはり「買ったお惣菜」では味気ないから、がんばっておつまみを作りました。なんてことないご飯のおかずなんだけど、普段あまり食べなくなったな、そんな家庭料理のメニュー(で私が作れるもの)にしようとコンセプトをまとめる。
私は料理を作るプロではないので、旨いかまずいかを問う勇気は無いけれど、人様にお出しする以上は、口にあうかどうかには責任を持つべきだろうとは思い、かなりごまかしのきくものを選び2日前から仕込みをはじめました。
宴はもりあがり、なんと8時間もまるで仕事のように、女4人で飲んで・食べて・しゃべってと盛り上がったのでありました。
(写真は参加した仲間が呑みながらビシビシ撮ってくれたものです)
以下、お出しした料理メニュー
白身魚のヅケ 香味野菜わさびヨーグルトあえ
焼き餃子(皮は市販品)
ザンギ(鶏のから揚げ)
なすの焼びたし
ハムと玉ねぎのマリネ(白ワインビネガーとオリーブオイル、レモンで)
ごはんに合うおかずは全て日本酒に合います(しかし銘柄の記録が~!!)
お土産でいただいた赤ワイン