東京でも30度越えの気温になってきました。私が通う畑は屋外にもかかわらずマスク着用を推奨しています。化粧や日焼け止めがマスク着用による呼気の蒸れで剥げ落ちてしまうので本当は嫌なのですが、コロナウィルスは唾液に最も大量に含まれているとわかってきているため、今年の夏は諦め半分で端ぎれを縫った自作のマスクを楽しんでいます。かれこれ10枚ほど縫いましたが、生地の中でも糸を多くつかった、めのこまかい厚いものは着用すると暑いですね。私は生地を二枚重ねて手で縫う方法なので針も通しにくく、柄の雰囲気だけではなく薄めの布を選ぶようにしています。
マスクが必要なのはもっぱら喋る時ですね。なので、黙って歩いている時は着けませんが、飛んでくる飛沫が自分に入ってきてしまうかも、と警戒する場面がいくつかあります。
まずは電車の中。これは周囲の人がマスクを着けない私が横に居るのは嫌だろうという気持ちもあり着けるようにしています。ラッシュ時は難しいですが他人様の真正面に位置しないことも心がけています。
あとは地下道やコンコースといった、トンネルの作りで、風が一方通行になっていそうなところを歩くとき。たとえ遠くても、風上に居る人にくしゃみをされるとヤバい気がします。
もっとも緊張するのはエスカレーター。なんせ移動スピードが機械任せで一定なためにヒヤヒヤします。特に頭上に位置する人が咳やくしゃみで飛沫を飛ばすと重力で落ちてくるため、下に居る時ほど気をつけています。
屋外で行きかう人については、射程距離内で交差する瞬間が一番緊張します。自転車にのって通り過ぎる瞬間にくしゃみをするタイミングのいいおじさんがたまにいて「・・・・。」ですが、直撃を避けるという意味では日傘もアリだなと思っています。
ステイホームの期間中、かつて途中でくじけていた文庫全8巻の「坂の上の雲(司馬遼太郎著)」を読破しました。そこで知った思いがけずタイムリーな話題。それは日露戦争の終盤、日本の海軍はいざ砲撃開始の時期が分かると、重量を軽くするために予備で抱えていた石炭を海中に捨てますが、その作業でみな真っ黒に煤けてしまう。そこで軍医の指示により、作業を終えた甲板はすべて戦闘開始前に清掃し、収納に使っていた鉄の箱を浴槽に見立てて全員入浴させ、下着から軍服まですべて新品や洗いざらしを着用させたそうです。いざ戦闘が始まって爆撃を受け怪我をした時に、その場所や衣服が清潔なほうが感染症などの悪化リスクが少ないと考えたそうで、死に装束を整えるという気持ちも含まれていたような。たしかに現代でも葬儀前に納棺する際には、どうせ燃やすんだから病院の寝間着のままでいいか、と思わない人は多いだろうし、私が親を看取った際も、死に装束にはいちばんいい木綿を選んだものです。対してロシア軍は、どうせ汚れるしこれから死ぬかもしれないからと戦時は古着を着せるのが当たり前だったそうで、日本海軍の対応は世界でも珍しかったようです。もっと前の江戸時代にはすでに下肥も商売になっていたというし、衛生に対する日本の考え方というのは今に始まったことではなさそうで、誇りに思えますね。
そんな折「日本の感染者が少ないのは民度が高いから」と言った、けっこういい年したバカな政治家の報道に触れました。彼は「だれが相手でもみな押し黙る」と胸を張っていましたが、それは「開いた口が塞がらなかっただけ」と東京新聞のコラムにありました。ほんとにそのとおり。世界に向けた彼の発信は、“高い民度”のおかげでただただ、恥ずかしいよ。