美しいものを見て心が揺さぶられるという感覚をすっかり忘れてた。業務でプロカメラマンが撮影する広告宣伝写真を見てきた30年の自負が邪魔をして、よもや「自然布」の本のキリヌキ・ブツ撮り写真の美しさに感動する日が来るとは。先入観をもたず、平常心でものごとに触れるのは本当に難しい。
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クラシック音楽好きな父の書棚には哲学書や指揮者の評論などがずらっと並んでいたけれど、旧かなづかいやハードケース入りの本ばかり、子供の私には“壁の装飾”にしか思えず全く興味がなかった。
ボンヤリと過ごした青春時代でも、高校の修学旅行で倉敷に行きたぶん倉敷民藝館か大原美術館に行った記憶がある。そこで偶然買ったお土産の包丁は母や祖母に目利きを褒められ、小さなナイフになるまで研いで使い続けるほど喜ばれたし、棟方志功の小さなハガキを自分の部屋に飾っていた。グラフィックデザインの学校へも進学し、柳宗理の道具がうちにはたくさんあったし、家にはユーカラ織の額が飾られ、姉の弁当箱は春慶塗で、青磁器や有田焼の良さは家族の話題にもなってきている。「バーナード・リーチ」というワードを知っていたのも“壁装飾”を眺めていたからこそ。ここまでの状況が揃っていながら、両親はただの一度も、民藝の「み」の字も私に教えてくれないまま他界した。若いうちに知っていれば違う人生もあったかもしれないのに、と今もなお悔やまれることのひとつ。
民藝というのは、名もなき人が作った生活道具の中にある普遍的な美しさを大切にしようというもので、それらを長く残していこうと明治生まれの柳宗悦氏が取り組んできた運動が有名。国内のみならず海外品も評価・蒐集の対象で、海外の大学講演や展示企画を行いながら転々と旅を続け、随筆や、途中で見聞したものの美しさなどを家族や関係者につづったお手紙をまとめた本。美品と出会った際の喜びや、これを受け入れる土壌が日本に充分にないことを嘆くくだりもあり、その一喜一憂をともに体験できる。
日本は1800年代から海外との交流は始まっていたんだね。多くの明治人が持ってきた短い人生との向き合い方や覚悟を、今の人々は知ったほうがいいと思う。
たぶん絶版でメルカリで買った。こういう良本は復刻してほしい。
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トビラの説明文をお借りすると「日本各地に残る美しい手仕事を紹介しながら手仕事がいかに大切なものであるかを訴え、日本がすばらしい手仕事の国であることへの認識を呼びかけた本。」
柳宗悦氏の意思を継いだ次世代が生きたのが、民藝からデザインへの時代へ移ったころ。私はバブルがはじけたころ社会人となったが、グラフィックデザインはまだ手仕事の時代だった。0.1ミリ、0.3ミリ、0.5ミリの罫線をまっすぐ引き分けられることが修行の入口で、文字書体は写植という紙焼き、リサイズはトレスコという大きなカメラの部屋に入って行っていた。今のワンクリックとは程遠い労力と技術を要する。
私は遅くてヘタで汚い作業しかできず役立たずアシスタントだったけど、当時の先輩は出たてのMacintoshを180万円で買った人で「機械が簡単にやってくれる時代が遠からずやってくるので、修行に何年もの時間を費やすのは止めた方がいい。特に飯島さんは向いてもいないし」と言ってもらえ、プランニングの基礎を教えてくれた。製作会社にMac/Appleが配置されて当たり前になった数年後に「機械化によって格段に作業スピードが上がるし効率もよくなるけれど、ここで短縮した時間をそのまま顧客に差し出すのではなく、考える時間に充てて仕事の質を上げるべきだ」と当時のデザイナーたちが言っていた。きみまろ風に「あれから25年!」残念ながらそういう方向には行かなかったかなと思う。
自由経済と民主主義はコストがかかるという意味がこの年になるとつくづくわかる今日このごろ。
大正生まれとはいえ三島由紀夫のエッセイを読んだ後でもあり。
「人間ってほんとにいろんなタイプがいて、人生って志ひとつでこうも違うのか」