余情残心(よじょうざんしん)とは茶道の言葉で、一期一会ののちの心得だそうです。
意味は「お客様が帰られたあとでもなおかつお客様の満足について考えていること」で、ひいては「常に向上心を持ち前向きな人生を送るべきための心得」なんだそうです。
いいなぁ、いいなぁ。素敵だなぁ。私はこうやって仕事をこなしていきたい!
アナタのこと考えてますよ!と透けてみえる配慮は野暮ったいけれど、考えつくしたものに含まれる細やかな煌きは放っていたい。そういう大人の女性になりたいなぁと思っています。
私は「八百万(やおよろず)の神」という考えがとても気に入っています。ここで解説するほど神道を理解していないので掘り下げませんが、あくまでも素人考えとして、自然や自然現象などの全てのものに神が宿っているということは直感的に信用しています。
生き物は、摂取と消費の繰り返しを常に行っていて、そこに費やすのが「時間」かなと捉えています。そして生き物達の集まりが与える影響と重なりあって「環境」となり、それらの複合要素により「バランス」が生まれる。自然は常に偏りをなくし均等(調和)に向かうために、変化が起きる・・・その動きが「社会」なのかなと(漠然としてますが)感じていて、そこには八百万の神がもたらず“未知なる意図”が作用していてもいいよなぁと思うのです。
まだ20歳になる前に、当時通っていた学校の制度にのってカナダの美術学校へ留学させてもらいました。そこでシルクスクリーンやタイポグラフィ、2Dデザインなどの授業を選択しましたが、講義や資料、道具が全て英語だし(生活全てが英語だから当たり前なんだけど)、元々わたしのセンスは2.5流で不器用。しかも一発勝負が向いていてコツコツやるのは飽きっぽい性格で無理だったため、現地で作った作品はとても持ち帰るレベルのものではなく、帰国とともに捨て去るぐらいひどいものでした。
しかしこんな私でも学校で作品を提出すると、トオコの作品は実に繊細だ!と褒められました。(当時も今も信じられん。他に褒めようがなかったのもありますが。。。)不器用な私でも褒められるほど日本人の感受性は繊細なんだろうな、とは感じました。ホームスティ先でも「面倒を見る留学生は日本人がいい」と人気でした。日本人は静かだし、モノを壊さないし、キレイに暮らしてくれるから大好き!という人が多かったのも納得できます。
日本人の持ち合わせた感性のどこかに、空気をつかむような共通した配慮があるのではないかと思います。だって昨今の「KY」も(“空気を読める”のもKYなのにヘンよね)わざわざ隠語にすることないじゃん、だって空気を読めない人のコトなんだからストレートに言ったってどうせワカランよ、と思うのですが、そこに日本人の繊細さを感じ取ってしまいます。
まだまだ、ニッポンも捨てたもんじゃないのかな・・・と思いますね!