先日、友人の「人前式」結婚式へ行ってきました。華々しい場所というのは緊張と期待感があるものですが、今回は会場が羽田空港ということもあり、まるでこのまま帰省するような楽しい気分も味わえる、というオマケつきでした。
「人前式」については新しい試みのようで、その概念みたいなものはうっすら承知しておりましたが詳しい内容は知らず、人生を共にすることを誓う場に立ち会うというもの。しかし、いざ立ち会ってみると、予想以上にサッパリというか、あっさりした感じで・・・。挙式にこのようなバリエーションがなぜ生まれたのか?ちょっと不思議でかえって心に残りました。
恥ずかしながら、30歳も過ぎてから知ったことですが「婚姻届や離婚届には、証人2名のサインが必要」です(証人はたぶん親族でもOK)。
証人はもちろん本人が自由に決められることではあるものの、いざ手続きの段階で第三者が必要になるというのは、立会う列席者が居ないと成立しない「人前式」と同じです。
「個人の自由」を当然として許容する現代に、自由に行える婚姻の手続きで、第三者のサインが必要だということは、世の中は以外に面倒くさいものなんだぞ、舐めてかかるなよ、と誰かにいわれているような気がします。そして、第三者が居ないと成立しないという、ある意味で不自由な挙式スタイル「人前式」が、自由の精神が行き渡った現代でのブームであるということが、興味深いねじれ現象のように感じました。
思うに「人前式」は、とりわけ「立ち会ってくださった方々の時間と誠意を無駄にしない」という、コトの重みを判っているという前提で行うものなのではないかと思います。また立ち会う人たちも、そのような思いを少なからず持って参列する。親しき仲にも礼儀あり、ではないですが、互いを尊重するいい緊張感があってこそ有機的に成立する儀式ではないでしょうか。
だけど参列した私にはかような緊張感は、あったようで、なかった。そこに今回の拍子抜けした感じの原因があるのかもしれません。
仕事の場面でも、たとえ面倒であっても「やらねばならないことは粛々と行う」べき場面が増えてきました。避けては通れない大人への道として、甘んじて享ける毎日であります。