
人間の感情というのはすごく繊細で微妙なものに思われがちだけれど、基本的には喜怒哀楽しかないと思っている。世の中に起きた現象について「いろんな受け止め方があります」という解釈を投げる人が多いけれど、そう言ってしまえばたしかに人の数だけ受け止め方はあるけれど、怒っているとか楽しいとかは(人類の歴史を振り返るまでもなく)どこの国のどんな人種でも変わらない。だからこそ、怒りや楽しさをどのように表現するか、伝えるか、その工夫が重要で、人間がもつ「知性」の発揮しどころだと思っている。また、言葉に置き換えると頭の中でぼんやりしていた感情がくっきりと自覚できるようになるため、語彙は多いほうがいいし、ネガティブワードは日ごろから頭の中に長く置かないようにしている。年を取ると、若いころよりも代謝が落ちて栄養の消化吸収に時間がかかるように、感情の処理も遅くなる気がするから。これをコントロールできるようになると、仕事も楽しくなるし、生きる面白さも広がってくる。
今年は、感染症の流行でお仕事に影響がありましたか?と心配されることが増えたが、あまり影響がなかった。もともと仕事の伝達事項はメールやチャットでほとんどが済んでいて、細かい話は電話で話せば済んだから。むしろオンラインミーティングが断れず「顔見る必要ありますかね」と困っている技術者もいて笑ってしまった。しかし、システムやインターネットが何でも解決してくれると勘違いしている人も増えて、現場は忙しい上にもめ事が増えている。メールはお互いの持っている時間を融通させて読めるので、この時代においても一番有効なツールだと思う。でも送信しただけで内容が伝わったと思い込み、了承したとまで疑わない人も結構いる。こうなると自分の意思を伝えるためにはまず文章を書く力が必要になり、うまくないと仕事にならない。日本語というのは適当に書いてもそれなりに通じる便利さがあって、そのゆるさを想像しない人ほど、思うことをそのまま自分の視点で文章にしてくる。言葉を注意深く選べなかったり、語彙が少ない人の文章は、人生観までも透かして見せてくれて、自分のことに重ねてみると冷や汗が出るおもいだ。
メール送信自体が「仕事をした」という上司への報告を兼ねていたり、メールをタイピングしている時間が「その人の業務」とみなされていることを加味したメールを受け取ることも増えてきた。手段が目的化し、手軽に量産される中身のない話や、場違い・スジ違いの話が大真面目に送られてきてとまどう。このとまどいは処理に時間がかかるので忘れたいけれど、多すぎて、忘れるために必要な労力もバカにならなくなってきた。
つくづく、仕事ってなんだっけと思う。何を評価されたギャラなのか、自己評価とセットで考える習慣をつけたい。私は文章が下手でも好みが合わなくてもいいから、他人の気持ちや互いの立場を想像できる人と仕事をしたい。昔は当たり前にいたはずの人が、近年の日本では探さないと見つからなくなった。中年のみなさん、一緒に頑張りましょう!
このコラムは・・・
いまは年代によって直面している現実がまるで違う、大変な時代。この現実を乗り越えようと頑張って働く皆さまへ。
ちょっとやわらかくすれば飲みこみやすくなるかもね、という気持ちを込めて書いてます。誰かの、何かの、お役に立てれば。
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