うちはテレビ好きのオットのおかげで、朝から晩までテレビが付いていることが多い。
音楽を聴いたり、静寂も楽しみたい私にはキビチイ時間も多いけれど、ちょっといいこともある。とにかく面白そうな番組は片っ端から録画されているのだ。しかもキーワードサーチ機能よりもさらに優れた、一定の条件でふるい分けがされており、うまいなと感心することしきり。
おかげでちょっと時差つきでM-1グランプリを観た。今回は、歴代チャンピオンが審査するのがウリのひとつのようだったけど、あれは驚くほど良くなかった。
審査のコメントが「ネタが平凡」「あれならオレの方が面白い」「あいつは同期だから特別だと思われないように(点を)減らした」と、彼らにウケ狙いの意図があったとしても私意すぎる。司会の今田耕司が感想を述べて審査員に聞かない時もあった。改めて、上岡龍太郎や西川きよし、オール巨人や島田紳助などの「大御所」と言われている審査員は、ピリピリしつつもちゃんと審査していたのだなと思った。
肩を並べるようなライバルに審査は無理だと思う。人や作品、仕事ぶりを、審査なり評価なりするというのは、正誤ではなく視点の数ではないか。
人を育てる経験が多少なりともあればわかると思うのだけど、単に面白いかどうかを決めるのではなく、本人にとってどういうチャレンジだったのか、それは業界の中の標準としてどのレベルなのか。その視点をかけ合わせて「審査」してくれないと、公平な感じがしないし、他人のSNSを眺めただけのような気分になった。
審査員のメンツも過去チャンピオンだったかもしれないけれど、ネタなんかずっとやってない人や、ワンパターンな人も座っていたり。こきおろされて最下位だったハライチの二人は「ネタがありきたり」らしいけれども、水平移動を狙ったチャレンジなのだなと思ったし、それなりに笑えたのになぁと残念だった。
(斎藤さんのおかげで、丸くなった河村隆一を正視できなくなるという思わぬ副産物があったけど)
観おわって、あの審査員についてのアイデアを出した人について思いを馳せてしまった。
マネジメント経験がない人なんだろうなと思った。
採用した決済者もひとつの番組として面白そうな触れ込みがあるかどうかを判断基準にしたのだと思う。
ちょっと飲み屋の世間話に耳をそばだてれば、サラリーマンの会話は殆どが上司への不満か同僚や先輩などへの妬みばっかりなんだから、現役で仕事してる人が、他の現役を平等に審査するのは無理なんだよね。師匠と呼ばれる人たちでも、行儀見習いから他人の人生を多少なりとも面倒みて、お金と責任を負って、巣立つところまでやり遂げられるのは、ほんの一握りではないかと思う。
と、思ってたらビートたけしが何かの番組で、奴らに評価させるのは無理だよって話してた。やっぱりそうだよね。
(飯島)