時をさかのぼり、ルーツの旅 はじまる

いつになくブログ連投中。なぜなら今ひどい喉風邪をひいているから。長年の努力が実を結び免疫力が上がったのか、それとも老化現象の階段を着実に上っているせいなのか、ここ何年も体調不良といえば口内炎や目、歯の不具合ばかり。今は咳が止まらず痰が詰まり、仕事できる集中力はないが、寝続ける体力もなく、絶え間なくやってくるミラノオリンピックの競技ニュースをぼんやり眺めている。
友人達と老後の身の振り方について話す機会がぐっと増えた。みんなそれぞれに人生の終盤戦に差し掛かっている自覚があるんだと思う。地方移住や住処を移す話をよく聞くし、老後は北海道に帰るの?と聞かれることも増えた。昔は「選択肢にある」と答えていたけれど今は微妙。気候・文化・利便性・交友関係。どれも一長一短だけれども「あなたは縁ある土地のためになることをするのが使命」とある人に言われて以来、それまで漠然と疑問に思っていたことが頭をもたげる。そう、私の縁ってどこにあるんだろう?若い頃は、生まれ育った札幌(北海道)だと思っていたけれど、もう離れて28年、来年からはついに東京暮らしの方が長い人生になるから。
生涯を生まれ育った地元で過ごす人や、地方都市に暮らし続ける人、家業を継ぐ人や昔ながらの慣習に縛られて暮らしてる人について、若い頃はそういう人は気の毒だと思っていた。縛られず、移動の自由がある自分は恵まれている、と。でも近年は逆で、そういう人がうらやましく思うようになった。
自分の意思でチャンスをつかんで東京に出てきたけれど、ここに居続けなければならない理由がない。来るのも自由だし、出て行くのも自由なのは、東京だからではなく、子もいない私の場合はどこへ行ってもそう思うだろう。私にとって離れられない場所はなく、やらねばならないこともない。想像以上に早く両親が鬼籍に入ってしまい、帰るべき実家も失った。いよいよ根無し草ここに極まれり、のなか「縁のある土地のためになることをするのが宿命」と言われてもなぁ。な感じである。
聞きかじっていた飯島のルーツを調べることに
わたしの祖母は非嫡出子の父を産み、父は母と出逢って結婚し自分が生まれた。父は自分が成人するころ父親に一度だけ逢ったことがあるらしいが、このテの話題は祖母の機嫌がとにかく悪くなるようで、いきさつや祖父の人柄は殆ど聞けずに終わったらしい。父が「人生の中で最も話が面白くて上手なのはおふくろ」とまで言わせた祖母は、芸者として働き女手一つで父を育て、札幌の藻岩山に飯島の墓を建てた。いま私が墓守だけれど、墓碑銘に書かれているのは私の曾祖父、大叔父にあたる弟2名、謎の女性2名が並び、私の家族である祖母、父、母と続いている。名前しかわからない5名は主に大正時代に亡くなっているようで納骨されていない。空の墓を建てて名前を刻んだところに祖母の意地が感じられ、大切な人たちが生きた証を残したいと思ったのではないか、と想像している。
実家を片付けたら祖母の持ち物とおぼしき写真が何十枚も出てきた。もちろん白黒で、みんな着物姿で、軍服姿の人もいる。明治や大正時代の写真なので映っている人は全員誰だか分からないけれど、中年女性が写った1枚だけ、裏に鉛筆書きで「(祖母の名)姉 小林きい」とある。祖母は弟二人を前と後ろにおぶって一桁齢から奉公に出された苦労人。識字力は晩年になって身に付けたようで父の出生届の名前漢字を人に聞いて提出したら間違っていたので訂正したと話していたので、おそらくどなたかがご厚意で書いてくださったんだろう。それにしても、祖母は長女って聞いてたんだけどな?
手書きの除籍謄本には情報満載
そんな折、仕事仲間の先輩のアドバイスを受けて、戸籍をたどれるということを知った。直系の血筋は戸籍を取り寄せることができるらしい。私の場合、調べることができるのは「飯島」(父側の祖母の系譜)、旭川の「濱田」(母側の祖父)、「小関」(母側の祖母)の3方面。調べて分かったけど、昔の戸籍っていろんな情報が長々書かれてるのも多いです、きっと受付担当者が聞いたことを書き留めたんでしょうな。そして知った、あの時代の「養子」の多さ。
特に飯島は曾祖父の時代に養子の記録がゾロゾロあって、この人たちみんなどこ行ったんだ?って感じ。さらには、父を非嫡出子と記録に残すのは将来に差しさわりがあるだろうと祖母が一計を案じ、曾祖母の産んだ子を養子に迎えたことになっている。もちろん父は祖母の実子なんだけど、なんせ自分の父の話を遠慮して聞けない男だから、詳しいことは本人にも分からない。戸籍だからいつか本人も見るだろうしと祖母が早めにカミングアウトしたんでしょう。
初めて知る、実は新潟出身者
ここからはもう次々と新しい発見がありました。もう、今まで両親から聞いてた話がいかにテキトーだったか。そして、なぜ誰もがテキトー話の伝聞だけで済ませて人生の幕を閉じたのか、信じられない思いだった。
まず、札幌に本籍地を持つ我が飯島家は、なんと曾祖父が大正初期に北海道旭川へ入植しており、札幌に来たのは曾祖父が亡くなった後のよう。北海道の歴史は短いが、うちはさらに短い。入植前の住所は「新潟府中蒲原郡沼垂町大字沼垂千五」とあり、祖母は新潟の生まれだった。ということは私も新潟にルーツがあるのか!?どうりで鮭の焼き漬けを毎年食べていたけど北海道の友人は皆その食べ方を知らなかったし、我が家は北海道名物「ちゃんちゃん焼き」を食べたことが一度もない。鮭については毎年調達していた祖母に主導権があったから、当然といえば当然か。
ここでハタとおもう。以前長岡の大仕事が実際に受注できたのは、新潟のご縁が呼んでくれたのかも?打ち合わせで出向いた際に、もっと街歩きをして歴史を調べて来ればよかった。しかも沼垂は「醸造業(酒蔵、味噌)が盛んで、「発酵の町」としても有名」だとAIが言っている。発酵の仕事や、日本酒好きな自分とってはシンパシーを感じる~!
そして祖母の父であり私にとって曾祖父、飯島種吉も新潟の人で、なんとここも養子!就職がどうしたと書いてあるので、高祖父、飯島磯吉の後継ぎとして養子に入り、角本キソ?と初婚。沼垂は海の近くで今でいう商業地域だったらしいけど何の跡継ぎか詳細は不明。長女を産み協議離婚を経て後添いに川崎ハナをもらい、ここで私の祖母が次女として生まれる。「腹違いの姉が新潟に居る」と祖母が話していた裏がこれで取れた。そして曾祖父の本来の肉親は丸山卯之吉&ヤエさん。血をたどるならここを遡らなければならないけど、実はこの調査で大発見があった。
新潟県は80年より古い記録は順次処分している!
たった80年!これしか辿れないのは歴史への冒涜じゃないか。今から100年前だと大正14年、そのころ生きていた人間の記録が、新潟県にとってはゴミ。「昔のことは全く分かりません」という回答しかこない。処分する前になぜデジタル化しなかったのか、信じられない。元新潟県知事の米山隆一さん、これわかってました?SNSで遊んでる場合じゃないっすよ。うちはたまたま旭川に転居したから、旭川の記録に残っていたけれど、もう飯島種吉をこれ以上辿ることはできない。何をしてた人か、兄弟はいたのか、その末裔はどこにいるのか。。。絶句している私との会話をさっさと終えたい電話口の人は実に言い慣れた口調で「処分は条例で決めたことですから(悪くもひどくもありません)」てな言い分だった。ひどい。
曾祖母と幼少期に何度か逢っていた
そして後添いとなった曾祖母のハナはなんと東京出身で「東京市本所区中之郷元町19番地」。曾祖父の飯島種吉は旭川に入植してまもなく大正8年に他界している。祖母は大正2年生まれなので、6歳には父と死別したことになる。私はこのハナさんと生前何度か逢っているが、なぜか坂下という家の人となっており、種吉の他界後に坂下家へ後添いで入り子を4人もうけている。
本所区は現在の墨田区。ここは震災と火事で記録が消失しており、これまた詳細がわからなかったけど、墨田区役所は平身低頭お詫びをして消失証明書なら発行できると申し訳なさそうに言った。それは要らないので、古地図を閲覧させている人にお願いして本を見せてもらい、今の住所だとこのあたりと教えてもらいその足で見に行ってきた。彼女の戸籍の母の欄には「亡川崎セイ」とあった。4~5歳だった私にはさっぱり分からない謎の多い人だったが、今ならなかなかのワケアリ人物ではないかとわかる。それにしてもまさか、この人が生まれ育った地の100年後を将来私が見ることになるとはね、当時は思いもしなかったよ、お互いにね。
すっかり長くなったので、ひとまずこのあたりで。
