NEWブログリニューアル、ぼちぼち作業中!
SHARE:

民藝のおもしろさにたどり着くまで

民藝のおもしろさにたどり着くまで

料理を載せる食器には若いころから興味があって、それは母の影響。自宅には小鉢から大皿まで、有田や伊万里などの陶器や青磁があった。日常遣いはおもに「たち吉」だけれど、漆器のお椀や春慶塗のお弁当箱、花器・花瓶、骨董好きな母の友人から送られた絵皿などが大量にあった。母が三日三晩かけて作るおせち料理を彩りよくお重箱に詰めるのは昔から私の得意技。そんな思い出もあってどうしていいかわからず、当時表参道にあった私の事務所へ運び込んだ。

事務所から歩いて数分のところにある骨董屋さんに事情を話して査定に来てもらったら、やってきた親子は一通りサッと見て「全て要りません」。レプリカや量産品、お弟子さんが作ったものばかりで「昔はこういうのデパートで売ってたんですよね~」で腑に落ちたが、無性に恥ずかしかった。けれども両親の人生を軽くバカにされた気もして、じゃあ全部棄てるか、ともならなかった。旭川ドレメ出身の母は父と結婚してからの40年以上、専業主婦にもかかわらず洋服は全てyoshie inabaでしか買わず、すべてを自分の体型とサイズにきっちりお直ししていた。デパートは洋服とおしゃれが大好きな母の主戦場。あんだけ買い物してたんだから、さもありなん。

コロナ禍で時間ができ、自然布の魅力を知り、改めて民藝に興味を持ったとき。自分の周辺にはそれなりにヒントがちりばめられていたのに、まったく素通りしてきたことを悔やんだ。まず実家には民藝の本がたくさんあった。「バーナード リーチ」がどこの何だか分からないけど眺めていた本棚の背表紙にあったことを覚えている。
バカな私は、高校の修学旅行で倉敷民藝館に行ったことも忘れ、父の本棚は見もしないでブックオフに引き取らせ、撮影用の食器調達で唐津の隆太窯へ訪れて生前母が来ていた場所だとハタと気づいた。古書をみつけては買い漁って読んでいる柳宗悦のエッセイは、文体がまるで私の父から届く手紙と同じで、読みやすく、懐かしくもあり、明治生まれに囲まれていた父の生い立ちの側面を垣間見た気がした。

そういえば益子焼は好きだし、河井寛次郎の作品集は自宅にあるし、棟方志功展は必ず見に行くし、濱田庄司は着てる作務衣に目が行くし、柳宗悦が着てるホームスパンは私も欲しい。東京に来たばかりのころ「広告批評」のコピーライタースクールに通っていて、講師のおっさんに「好きな作家いないでしょ?だから文章に個性が無くてほんと何読んでもあなたの作品はつまんない。」といつも酷評されてた。こっちもお前のことなんか作品も名前も知らんよーと腹の中で舌を出してたけど、最近やっと宮沢賢治がハマりだして嬉しい。農民生活バンザイ!である。

それでもニブイ私は気持ちが切り替わらず、決め手になったのは母と祖母の着物。呉服屋さんに引き取られなかった30枚ほどの紬が手元に残り、桐のたんすにしまうためにカサを減らそうと、もったいない一心で袷(あわせ※)を解き始めた。1枚解くのも半日がかりで、数枚やったところで「剥がした着物地の使いみち」に悩みはじめ、横滑り的に何も解決していないことに気づいた。そして思いついたのが、2022年から習い始めた和裁です。これまたご縁があって、大田区の和裁職人さんのところに通いながら母の遺した紬を自分のサイズに仕立て直しています。「男仕立て/おとこじたて」といって男性の職人さんは足を使うんですよ。縫うものが女物でも、男仕立てです。すっごく楽しいので、おいおい書いていきます。

自分の中に漠然と散らばっていた興味というフラグが、思ってたほど無関係ではなく、大きなグルーピングの中にまとまることにやっと気づいたんです。これが「民藝」でした!職人が無心になって作りこんだ息の長い量産品のなかにある用の美を感じる品が民藝と定義づけられていて、ブランドではないので、ラベルありきではありません。
そして何かを見て素敵だと思う気持ちが一過性のものか、今後の人生の中で長く持続するかといった温度差がわかるようになりました。インプットとアウトプットのバランスが人生には必要なように、これもまた、貴重なものを間違って処分したり、好きでもないものをもったいないというだけで保管してきた時間を経たおかげです。そしていまやっと「好きなものに囲まれる」自分の人生づくりの端緒についた、そういうシアワセを感じています。

※袷のきものとは裏地も縫い付けられて二重に仕立ててある着物のこと。主に秋、冬、春の3シーズンで着用します。「生地が二重なので裏地を剥がせば半量になる」という計算でした。

この記事が気に入ったら
フォローしよう
最新情報をお届けします
あなたへのおすすめ