バズくんの旅立ち
ブログ復活に際して、どうしても避けては通れないご報告を。
2024年10月29日、我が家の次男坊(猫)バズが旅立ちました。
8月にチャーリーの体調不良で通院し投薬3週間。なんとか大事に至らず安心しながらも、2匹とも酷暑と冷房で夏バテっぽいかな、、と思っていました。バズの食べる量が減り、病院に行ったところ胃と腸の境目あたりが細長く腫れている。腫瘍かと生検に出すも、通常よりもすごく時間がかかり、やっと出た結果は“シロ”。それでも調子は戻らず、痩せていき「大腸の構造が崩れてる」だの「腺がんの疑い」だのと言われながらも、原因を特定できずJARMeC 日本動物高度医療センター 川崎本院を紹介されました。
10月7日、朝からJARMeCへ。先駆けて処置した皮下投薬のL-アスパラギナーゼは強い抗がん剤なので、マスクがかかってしまい、この病院に来たところで開腹して病理を直接取り出して検査する以外に特定のしようがないと言われた。開腹切除は入院が必要なうえに、その後2週間しか生きられないと聞いていたので選択肢に全くなく、かかりつけ医で行った検査を再度、丁寧に行ってもらうことに。でもやはり「体調不良の原因が特定できない」ままに対処療法へ突入。毎日ステロイドを飲ませ、1日おきにかかりつけ医で補液と痛み止め、胃の不快感を和らげる薬を皮下注射してもらう。週に一度のJARMeCは、200を超えて異常事態と言われた炎症数値が半減、半減と続き、3度目のJARMeCで40台まで下がったので、翌日から強制給餌を始めて体力をつけさせようとかかりつけ医を予約。でも病院に連れていく2時間前に自宅で亡くなりました。
結局、何が原因で亡くなったのかわかりません。猫だし、小さな体だから、分からないことが多いのは当然だと思ってます。それよりも、私に何度も病院に連れていかれ、検査のために長時間隔離され、知らない人にあちこち触られることはバズ君のストレスだったと思う。だけど、ストレスを少しでも軽くしてあげたいと思う以上に、元気な姿に戻してあげたいと思ってしまった。人間のおごりだよね。亡くなる前日のJARMeCで、医師との面談を経て治療にバズを引き渡すとき、そのとき初めて1回だけ私の顔を見て啼いたのは、どういうメッセージだったのかな。どうすれば一番良かったのか、いまでもいろいろ後悔しています。でもバズは身体が大きい分だけよく頑張ってくれた。約12歳と6か月の生涯の最後の2か月は、ほぼつきっきりで過ごした濃い時間でした。最期を看取れたのも、バズの頑張りのおかげかなと思ってます。
こうしてザッと大まかな記録を書くだけのことを、やれるようになるまで半年以上もかかりました。。そしてやっぱり、思い出すと涙が止まりません。この半年で白髪がどっと増え、見るもの聞くもの全ての印象が今までとは少し違う、そういう日々を過ごしています。

