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お金への見方で、人を判断できるか

雑談で「今の時世は、円で持つのが一番のリスクですよ」という話を聞いた。ああそうなのか、と思いつつも意味がよく分からなかった。「借金も財産のうち」と幾度も聞かされ続け、そういうものだと(要らない)銀行融資もたくさん受けてきたけれど、これもあまりピンときていなかった。「信用があってこそ借金ができる」のは解るけれど、これって経済に参加している人だけの理屈だよね。「銀行」という業種が社会に必要だと思いこんでいる人による正義感のようなもの、と言い換えてもいい。だから「私の信用」という壁よりも、そう思い込んでる人達の考え方のしぶとさに先に負けてきた。でもお金の価値をどう解釈するかは、ほんらい個人個人で異なるものだと思う。

 何年か前、ランチで相席した高齢の女性から聞いた話。彼女の夫は大手企業の経営者だそうで、二人の息子をもったが跡継ぎを強要せず人生を自由に選択させた。彼らは医者になり、母親として立派に育て上げた自負もある。しかしひとつ不満があって「結婚相手にサラリーマンの娘を連れてくる」のだ、もちろんNGだ、見る目がない、と笑う。真意を尋ねると「給料をもらう家庭に育った人はね、1万円が単なる1万円にしか見えないの。それで商売の家に嫁いでこようってのは甘いのよ、無理よ。」

私の祖母は花柳界で身を立て女手ひとつで父を育てた。そのせいか、父は勤め人だけれどもお金についてはうるさい家だった。小学校にあがったばかりのころ、夕刊を配達する友人におしゃべりしながらついて歩いた結果、彼女がもらうはずのお金の一部をお駄賃にもらってしまった。断ることも知らずに家へ持ち帰ったら「お金を稼ぐというのは、お前のような子供が見よう見まねでやるものではない!」とこっぴどく叱られ、もらった75円を、母に連れられ頭を下げて返してきた。その後も、事業資金だけは身内に貸してはいけないとか、商売で利益が出ないのはやり方が悪いか向いてないかで本人の責任だ、など「お金教育」は折に触れてあった。私の起業は父が他界してからのめぐりあわせによるものだけれど、これらは私の現在の価値観に大きく影響している。

そんな私に、夫が病に倒れて他界し、経営を引き継いだ妻から先日相談があった。自分は門外漢だから中継ぎと割り切って、営業成績優秀な40代社員を後継者に指名して、いろいろ本人へ相談しているという。ところが、妻が夫が生前、会社に貸した運転資金の返済を報酬がわりに月々受け取っているが、指名した後継者がそのお金を自分が引き継いだ時まで残しておいてほしいと頼まれ、若き後継者の要望に気持ちよく応えるべきだろうか?と悩んでいた。

確かに、お金に名前は書いていないけれど、いろいろと変な話で、他人の懐に戻す返済金を将来の自分が使う事業資金に見込むって発想なに?こういう「やりくり」を裏技だと思い込む「腕のいい営業」っているんだよね。取引先に架空請求を頼まれて断り切れず、詐欺の片棒を担いだとみなされた気の毒な友人の話も聞いたことがあるけれど、お金の素性を見分けられないのはやはり経営者には難しいのでは、と思う。

ナナメ飛びに対してまっすぐ飛べと今から教育するより、いいブレーンで脇を固めて自分が経営することを選ぶべきではないの?と回答してみた。こういう決断は直前まで変更アリだし。だいたい、社長は事前に練習できるものじゃないわけだしね。 

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