自分流の視点でいいのだから
ここ一年ほど感染症に関する報道ばかりで、世間からぽっかり浮いた世界にひとりいるような、不思議な浮世離れ感に包まれている。いつ何を見てもコロナ、コロナ。毎日の新聞を読んでやっと福島第一原発の処理済み汚染水をどうやら政府はこっそり海洋放出しようとしていることに気付くが、話題にされない。コロナ対策にも無策なおじさん連中は、飲食店は閉めましょう、20時には家に帰りましょう、会社に出勤するのは止めましょうと、こりゃナンダ?昭和の不良向け生活指導か。ウィルスが特に口中で増殖しやすいから飲食で感染しやすい、というだけで、飲食店が感染源ではない。起承転結のギアがちょっとずつズレたまどろっこしさが、孤独な時間をさらに滅入らせる。
年末にスマホを買い替えたら、何をするにも早くて気分がいい。古い端末を処分してもらいに店へ再訪したところ「処分の手続きをした」という処理をするためにカウンターへ座らされアンケートに答えることになった。「これ、先日買った時にも同じ内容でやりましたけど?」と問うと「本日の手続きのためにお願いします」という。その質問内容のショボいこと。家族はいますか、その家族はスマホを持っていますか、どこの通信キャリアですか、興味のあるコンテンツは何ですか・・・答えは二週間前と変わらないし、3年前も同じ内容だった。世間の調査をちょっと解釈すれば済みそうなことを何度も回答させるとは。この会社はきっとアホの集団で人員もお金も余っていて、社員と同じように顧客をこき使うのだなと感じた。
企画を立てるのも、意見を聞くのも、やり方にはピンからキリまである。誰に聞くか、どう聞きだすか、そして聞いたことをどう活かすか。ここに知恵と工夫が必要で、技術が進む今後の世界市民に不可欠な究極の人間活動でもある。
「エビデンスや数値は最強で絶対合理的」と思い込む人や「何でもいいから企画を提案して」という人は、借りものの定規で測っているだけで、生き方も雑だしすぐ内容が変わる。ひとたび買い物で店頭に足を運んだけど店員の受け答えが全く要領を得ず、仕方なく帰宅してネットで買うときに、その企業に「やはり店頭よりネットショップを拡充すべきだな!」という結論にどうかしないでくださいと念じてしまう(逆もあり)。モノもサービスもあふれている昨今で頭一つ抜きんでることは難しい。
昨今よく耳にする「経済をまわす」発言にも違和感がある。近所の飲食店で数百円のテイクアウトをする、使わない電車代の代わりに数万円の自転車を買う、旅行をあきらめリゾート地の別荘を手放す、これらは同じ「経済」か。あちらを立てればこちらがへこむ、商売とはもともと平等ではない。天下をめぐるお金の流れをちょっといじることよりも、少しでも今までどおり生活するためにどうしたらいいか、みんながそれぞれ考えるほうが大きな力になる。大事なのは、それぞれが考えることだから。なによりも「経済をまわす」という言葉の軽さが、ものすごく傲慢で下品にきこえるのは私だけか。
