性差にこだわらない、ことにこだわろう
アメリカではついに副大統領が女性になりそうだ。日本でも性差について、今までの価値観や慣習を見直そうという意思表示ぐらいは自由にできる、いい時代になった。仕事をすればするほど「女だから」「女なのに」「女だけど」「女社長」という表現がついてきたし、起業したのも「34歳の独身女がフリーランスを名乗っても、誰も信用しないから」とセクハラ・パワハラ・モラハラ全開の助言を得たからだけど、当時はそれが普通だったと笑い飛ばせる。
ところが最近気になることが出てきた。公共機関や商業施設のトイレで清掃中の立て札に「清掃員が男性の場合があります」というもの。数年前まではどこにもなかったが、今やあちこちで見る。仕事とはいえトイレ掃除をしてくれる人には男女の別なくありがたい、というのが大多数の素直な気持ちのはずで、この奇妙な表示に出くわすと困惑する。こんなことを書くのはきっと苦情を言う人がいるからだ。
男性用トイレに女性清掃員がいるからと怒る人がいるとは考えにくい。そもそも女性トイレに男性清掃員がいて怒るのは、女性だ。トイレを使える立場を利用して苦情を述べたてるとすれば、この人材不足の折に不見識だけれど、そうとも言い返せない施設側の対抗策なのだろう。企業のコールセンターで「この会話は録音しています」っていうのもそれに近い。もし「男は掃除が下手だから」という苦情の根拠ならばあるで意味ご立派だけれど、きっと違うだろうし、ノゾキでもしてたなら犯罪なのだし、おそらく「女性しか入らない場所に男性がいるなんて」という嫌悪感に由来するものなのだろう。
「みんな平等であるべきだから」と自分の権利を主張しだす人が増るのは好きになれない。「あなたの言い分を認めるから、私のも認めてほしい」というのは平等ではなく融通だ。融通では我慢を強いられる人が必ずいるし、それで職を失う人すらいるかもしれない。その不幸な第三者への転結が想像でき、それも自らの責任とする覚悟がある人ならばまだ声をあげてもいいけれど、単なる不平不満なら耳を貸さずに毅然と対応するべきだ。「男性清掃員が嫌」なら利用する人が違うトイレを探せばいい。そういう「自由」だって世間には確保されている。
巷のアンケートにも性別を尋ねないのが増えた。回答必須項目から外れている配慮は好ましい。妙なのは「答えたくない」や「どちらでもない」という「3つ目の選択肢」が用意されているケース。「答えたくない」という回答を得て何の解析に使うのか謎だし、「どちらでもない」という答えを書かせるのは究極にセンシティブで、「ついでに入れとく選択肢」にしては重すぎるし、雑すぎる。
「うちの会社、こういう聞き方ができるぐらいに配慮してますよ」ってアピールしたいだけ、に見える。ヒネクレすぎかな。
「女性だから」と言い立てるのは男性の専売行為と思われがちだけれど、その思考にどっぷり浸かっている女性も実は多く、そういうのは面倒くさいやつが多い。「こだわらない、ことにこだわる」方が、ずっとスマートでカッコいい、そう考える女性はたくさんいると思う。
