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いつでも、自分で決めていい

 2000年代前半、企業が配属するweb担当者といえば、ほぼ「左遷されたおじさん」か「優秀でやる気もあるが使いにくい女性」のどちらかだった。仕事の采配をする人からみれば、使いにくい人材と、さほど必要性を感じないwebの仕事は相性が良かったようで、この傾向は大手企業ほど強かった。

私がまだ会社員だったとき、ある取引先の担当者に「小林さん」がいた。知識もあり頭もよく理系の頑固なおじさんだったが、小林さんには会議の場でこれみよがしに叱責する、心をへし折る天才の上司がいて、心を折られた小林さんは社内のホームページ担当だった。その天才クラッシャーの被害を受け休職する別のおじさんと入れ替わりで休職から復帰してきたのが小林さんだった。

小林さんは、月に一度の社内会議でサイトのアクセス集計をまとめ所見を述べるのが役務だったけれど、数値が動く理由が理解できないので、製作会社の私が下打ち合わせに毎月出向いていた。小林さんは社外の人と話すこの時間をとても楽しみにしていて、毎回3~ 4時間はかかった。書類やファイルを毎回どっさり持ってくるけれど、実は会議室を占拠するためのポーズだと笑っていた。そう、私のレクチャーは最後の10分程度だけで、残りは教養講座の聴講生。なぜ油は分離するのか、といったとりとめの無い話がいちいち面白かった。頭のいい人は説明もうまくて、話が脱線してもちゃんと戻ってくることを知ったし、私がどんなバカなことを聞いても「いい質問だ」と褒めてから教えてくれた。4時間も商談モードでいると、頷きすぎて私の首が痛くなるので、自然と友達との会話のような受け答えになり、この楽しい「雑談講座」は1年ぐらい続いたと思う。

私が在籍していた当時の会社は変わっていて、私より年上で社歴も長い先輩だけれど業務委託先の社員、という男性がいた。web製作部の営業だった私とは同じチームになることが多く、ある日会議室に呼び出され、いかに自分の思惑通りに仕事が進まないかを話し始め「あんた(私)のせいで俺の仕事はめちゃくちゃなんだよ!」と怒鳴られた。その男性に仕事を丸投げして売上額を稼いでいた私の上司は、バブル時代に札ビラをきって経費で遊んだ話が大好きなつまらない人で、業務委託先に好きに仕事をコントロールされないよう顧客との間に入れと私へ指示していた。でも彼のおかげで我社のwebの仕事がまわっているのだから彼の機嫌を損ねないよう我慢しなさいというので、我慢ならなかった私は退職の道を選んだ。

そして起業して落ち着いたころ、会社を辞めた唯一の心残りだった小林さんの訃報が届いた。休職したおじさんが復帰することになり、小林さんは担当する業務がなくなり、クラッシャーにまた心を折られて休職し、そのまま自らの道を閉ざしたようだった。私が創業して初めて社名札を立てたのは小林さんの枕花だった。

その10回程度の「雑談会議」から20年近く経った。人は必ず誰かの心にちょっとずつ残っている。小林さんが今の自分に未だ残っているように、これを読んでいるあなたも、間違いなく誰かの心にいる。それがどのような価値を持つかは自分次第なんだけど、人と接して、人と自分との関係を信じる力をつければ、その先には自分のことは自分で決めていいと思える「素敵な開き直り」が待っていると思う。人生は短く、環境は自分で変えることができる。諦めないで、道を断たずに、生きてほしい。

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